「銀の真樹日佐夫」ソフビ発売! 11月11日締切!

梶原一騎公式サイト

[2017.9.22]ソフビ「銀の真樹日佐夫」抽選販売

まんだらけZENBU83号本誌限定ハガキによる数量限定・抽選販売です。お見逃し無く!

デンボク/承認 A・Tプロダクツ

[2017.9.19]

梶原一騎プロフィール部分を更新しました。


[2017.8.8]「梶原一騎 絶筆30年 SO!一騎集会」8月6日無事行われました

ご来場くださった皆様、応援くださった皆様本当にありがとうございました。

イベントの成功・失敗の評価は人によるものと思いますが、私どもにとって今回のイベントの目標は「一人の人間としての梶原一騎を、少しでも知っていただきたい。」ということにあり、概ね目標は達成できたのではないかと思っております。

しかしながら、ちば先生・川崎先生がそろって梶原一騎について語り合うという歴史的なイベントとして、もう少し多方面の方にイベント自体を知っていただく努力が必要だったという反省を持っており、今後に役立てたいと思います。

ちば先生・川崎先生・森川先生・平松先生をはじめご協力くださった皆様にこの場をお借りしお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

有限会社A・Tプロダクツ 代表取締役 高森 城

[2017.8.8]「SO! 一騎集会」スポニチに掲載

イベント当日の様子がスポニチに掲載されました。
記事の内容はスポニチアネックスのニュースサイトでご覧ください。

スポニチ 8月7日発行

[2017.7.18]「SO! 一騎集会」イベント情報2

兄に続いて真樹日佐夫ソフビフィギュアも登場!
7/30 幕張メッセのワンフェスのデンボクブースで紹介予定!(展示のみ)
「SO!一騎集会」の会場にて販売しますのでレアアイテムGetのチャンスをお見逃し無く!

デンボク/承認 A・Tプロダクツ

[2017.7.16]「SO! 一騎集会」イベント情報1

クリエイションアドバンス株式会社さんから梶原一騎・真樹日佐夫兄弟のアツいTシャツの発売予定!
「SO!一騎集会」にて販売を計画中。この機会を是非お見逃し無く!


[2017.6.30]「SO! 一騎集会」8月6日開催決定!

梶原一騎没後30年を記念したイベントを豪華ゲストをお招きして開催!
詳しくは株式会社トムス・エンタテインメントのニュースリリース(pdf)を!

題字・平松伸二先生

[2017.6.24]梶原一騎実弟、高森日佐志著『弔花を編む』刊行!

書影

改造社『俳句研究』の編集長だった高森龍夫を父に、
高森朝樹(梶原一騎)、高森真土(真樹日佐夫)を兄に持つ著者が、
身内の視点で掘り下げた、肉親ならではのエピソード満載のエッセイ集。

Amazonの購入ページはこちら
その他通販サイトなどからも予約できます!

文芸社セレクション 定価本体:700円(税別)

[2016.6.20]サイトをリニューアル致します

梶原一騎没後、巨人の星放映、あしたのジョー連載などに節目の年がやってくるこの時期に、
ファンの皆様に様々な情報や企画をお届けできるよう、発信力を高めたいと考えております。

皆様の応援、よろしくお願い致します!

梶原一騎(高森朝雄)…本名 高森朝樹(たかもりあさき)

1936(昭和11)年9月4日

梶原一騎(高森朝雄)こと高森朝樹は東京市浅草区石浜に生まれる。現在の台東区清川と橋場に挟まれた地域の旧町名。
一家はすぐに原宿穏田(現在の神宮前)へ移住し幼年期はそこで過ごす。渋谷の私立緑岡小学校(後の青山学院初等部)に入学するが、粗暴な性格を嫌われ近所の公立小学校へ変わる。その後川崎への引越しや九州への疎開など、居の定まらない少年時代を送る。

1948(昭和23)年〜

一家はこの頃から蒲田に移り小さな家を構えていた。度重なる素行不良のため小学6年の時に品川の児童相談所に収容されその後中学生の三年間に当たる月日は青梅市の教護院、「誠明学園」で過ごした。山川惣治の「ノックアウトQ」で文学との出会いが訪れ将来の夢となる。

1953(昭和28)年〜

前年に入学した都立芝商業高校を中退し、本格的に執筆に挑んで「少年画報」の懸賞小説に応募し、作家活動に入ってゆく。佳作「朝の足音」、デビュー作「勝利のかげに」と執筆。この頃は、少年小説、スポーツ実録ものを手がけている。「冒険王」に初の連載プロレス絵物語を依頼され、画、吉田竜夫で「鉄腕リキヤ」(54年から57年)原作を書くが、原作者側の地位はまだ低く名前は出ていなかった。

1958(昭和33)年〜

5月、父龍夫死去。「若いみそらで、大変だろうが、よしなに。」の言葉を朝樹にのこす。梶原一騎、22才の時である。この後鎌倉に居を移し一年ほどを過ごした後、蒲田東口にトリスバー、「モンテクリスト」を開店する。梶原一騎と弟二人、そして母親とで切り盛りしたこの店は当時のバーブームに乗り初めは順調だった。しかし地元暴力団とのトラブルや行き当たりの経営感覚が災いして売上は尻すぼみとなりおよそ一年程で店を畳む事になる。
その後、自己を鼓舞して黙々と執筆する日々を送る。

1961(昭和36)年〜

バー経営と前後して執筆のスランプ期にあった梶原に転機。以前東京中日新聞で連載された佳作「力道山光浩」を読んでいた週刊少年マガジン編集長より力道山を登場させた漫画の原作を以来される。この事で力道山との縁が深まり各界の有力者との面識を得る事になる。
翌年『チャンピオン太』を吉田竜夫とのコンビでスタート。

1963(昭和38)年

製菓会社ハリスのガムとタイアップした『ハリス無段』を吉田竜夫とのコンビで連載開始。この年、力道山が不慮の死を遂げる。

1964(昭和39)年

東京オリンピック開催のこの年、後藤篤子と結婚。新居を構えるが『ハリス無段』の連載終了後再びのスランプにより食費にも事欠くようになる。

1966(昭和41)年〜

週刊少年マガジンから依頼された新構想漫画が『巨人の星』という形になってスタート。いよいよ梶原一騎の時代が訪れる。続けざまに『柔道一直線』を少年画報社で、『夕やけ番長』を秋田書店でそれぞれ開始。

1968(昭和43)年〜

ちばてつやとのコンビで『あしたのジョー』スタート(高森朝雄名義)。併せて辻なおきとのコンビで『タイガーマスク』スタート。一方集英社でも川崎のぼると『男の条件』を開始。
『巨人の星』『夕やけ番長』がアニメ化され梶原作品を目にしていない人間は居ない時代とも言えた。以降『キックの鬼』『赤き血のイレブン』『空手バカ一代』『柔道讃歌』『愛と誠』等ヒット作を連発。各作品はアニメ化、ドラマ化もされ、特に『あしたのジョー』では力石徹の死に対して寺山修司を中心とした実際の葬儀が執り行われるほどの社会現象になった。梶原一騎は月産600枚とも報道されるほど劇画原作の第一人者となった。

1971(昭和46)年

しかし売れっ子作家になった反面、自身の性格や多忙によるすれ違いが原因で妻篤子と離婚。

1975(昭和50)年〜

この頃より梶原は映画の世界に魅力を感じて力を注ぐようになり「三協映画」を設立。長年の義兄弟であった大山倍達と共にドキュメンタリー映画『地上最強のカラテ』を公開。空前の大ヒットとなる。
しかしこの頃を境に、執筆への情熱を忘れたかのような姿勢を心配する周囲をよそに映画制作や格闘技興行などにのめり込んだ。芸能界への進出で知り合った台湾のスター白冰冰との再婚もあった(数年後離婚)。

1980(昭和55)年〜

蜜月状態だったはずの大山倍達との関係に亀裂。翌年この亀裂は修復不可能となり梶原は弟・真樹日佐夫と共に極真会館を脱退した。「狂気の時代」と著されたこの頃、大阪でアントニオ猪木とトラブルがあり、さらに1983(昭和58)年には週刊少年マガジン副編集長への暴力行為が元で逮捕される。この件はいわば別件逮捕と語られており、本命は梶原一騎を違法薬物の大元締めとして立件する事であったが、元よりそのような事実は無く保釈された。
保釈後、長年の荒れた生活に蝕まれた身体が悲鳴を上げ緊急入院。「壊死性劇症膵臓炎」と診断され余命2時間という重態にまで陥るも懸命の治療と本人の体力により生還。

1985(昭和60)年〜

病気により延期されていた公判が結審。懲役2年・執行猶予3年の判決。篤子と復縁。二度に渡る夫婦生活の間に二女三男をもうけた。
体力の低下や体調の悪化と戦いながらも執筆意欲の高まりを受けて引退記念劇画「一騎人生劇場・男の星座」を原田久仁信とのコンビで開始。この作品が絶筆となる。

1987(昭和62)年1月21日

体調の悪化を受けて18日に「東京女子医科大学病院」へ緊急入院。そしてこの日死去。
享年50
辞世の句『吾命 珠の如くに 慈しみ 天命尽くば 珠と砕けん』

参考資料
『夕やけを見ていた男 評伝 梶原一騎』斎藤貴男著 新潮社
『昭和兄弟模様』高森日佐志著 東邦出版
『SO!一騎集会』会場パネル 株式会社トムス・エンタテインメント

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梶原一騎作品について深く深く知りたい人は"BONさん"のこのサイトを読め!

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